母の活けたお花です。

お題を尋ねると、無題ということなので、私が考えているところです。
「立春」でしょうか。あるいは、「幸せを自らつかみ取りなさい。」という母からのメッセージかもしれません。
母の活けたお花です。

お題を尋ねると、無題ということなので、私が考えているところです。
「立春」でしょうか。あるいは、「幸せを自らつかみ取りなさい。」という母からのメッセージかもしれません。
百か日のお参りで遠方まで行ってきました。

「百か日は卒哭忌とも言って、嘆き悲しむことをひとまず終えて、毎日の暮らしを精一杯に生きるという願いを込める法要です。」とお話しさせていただきました。
空はあいにくの雨でした。嘆き悲しむことを終える卒哭とはどれほど難しいのかと感じておりました。
2月になり、庭木が春の準備をしているかのようです。
「つらい吹雪も 辛抱が大事 いつか笑えよ 梅の花」という詩があるようです。
氷点下になるほどの寒さを辛抱していた梅の花も、もうじき花開くことでしょう。


一面を照らしていたお月さまの光が、オレンジ色になってきました。

祖父母と私たち兄弟の写真が出てきました。

戦後の農地解放の後、収入源を断たれたお寺の住職であった祖父は、自ら公立学校の教師になり、お寺のことは、家族や檀家総代さんにお任せしていました。
40年の教員人生を歩んで、老後は年金が入ってきました。お寺に住む恩返しと祖父個人からお寺へとつぎ込んでいました。
今では、外で稼いできた金銭をお寺につぎ込むことは難しい。かと言って檀家さんにこれ以上の負担を求めることはできない。
だからこそ、「お寺が社会に受け入れられるように努力しなければならない。そうして、自ら経済基盤を整備しなくては消滅していく。」という危機感を抱いて進めております。
若い時は先例踏襲で教わってきました。「踏襲がお寺を守る手段であるという考えでは、未来へ続くことは難しい。」という考えが皆さまにも浸透しつつあります。
真っ白になったお寺の本堂です。

西の空は晴れているので、次第に暖かくなるようです。

今年は祖父の三十三回忌に当たります。32年前の今頃、祖父が大垣市民病院に入院しました。前年に父が他界して、これからどうなることかと幼な心に心配したものです。
三十三回忌というと、民俗学的には「弔い上げ」と言って年忌法要は一段落して、今後は子孫を見守る祖霊として崇拝する儀礼に位置付けられるようです。
大きな法要を行なうことはしませんが、三十三回忌を節目に多くの皆さまに安心を深めるように努力を続けて行きます。
次号の「大源寺だより第8号」は、「三十三回忌を節目に安心を深める。」ことをテーマにしようと考えております。

融けたと思っていたら、再び雪が舞い降りてきました。明日の朝にはどれほど積もっていることか。

中日新聞に、私が勤めさせていただいた戦没者慰霊法要に参列された方の投書を見つけました。
こうして、参列者の声が伝わってくるとは不思議です。

NHK総合で、「墓じまい」のことが取り上げられていました。

墓じまいという言葉が流行しています。「ウチもどうしようか。」との相談を受けます。「流行に流されず、お宅の事情から考えるべきです。」とお答えしております。
大叔母によると、現在の先祖代々の墓ができたのは、昭和35年くらいのことです。当時も、流行のようにお墓を建築ラッシュであったようです。
50年経って、管理が難しいのであれば墓じまいが選択肢であり、管理が可能であればお墓を守っていくべきです。
流行に流されず、家のあり方や自分の生き方を問うことが必要であると思います。