最初は行政の許可が必要であることも知りませんでした。構想から2年かけて納骨壇の設置をすることができました。
皆さまのおかげと感謝しております。
まだまだ未完成です。今後ボチボチと進めて、故人を弔う厳かな空間へとしていきたいと考えております。

最初は行政の許可が必要であることも知りませんでした。構想から2年かけて納骨壇の設置をすることができました。
皆さまのおかげと感謝しております。
まだまだ未完成です。今後ボチボチと進めて、故人を弔う厳かな空間へとしていきたいと考えております。

お隣のおじいさんがお亡くなりになり、さびしい想いです。
昭和15年の本堂建立のときから尽力され、住職になったばかりの平成12年の大改修で戻るお世話になり、お寺の金剛力士のようにお護りくださいました。
私が3歳の時、人差し指を口に加える癖がありました。故人から、「こら、そんなことはやめなさい。」と一喝されて、私はすぐにその癖がなくなったものです。
「和尚、しっかりせんとあかんぞ。」と諫言してくださった故人の想いを継承していきます。

掲示板のポスターを貼り替えました。夏休みのお子さんたちに伝わるようにと掲げたところです。

赤いサルスベリと白いサルスベリに囲まれております。

「永代供養をお願いしたい。」というお問い合わせをいただくことがあります。
10年前は、跡取りがいないご家庭が、いつまでも供養が続くようにという願いを込めての意味合いで、「永代供養」という言葉が使われていました。
今では、お寺の納骨堂や合祀墓にご遺骨を安置して供養を続けるという意味合いに変容してきました。時には、石塔のお墓を片付けることを前提にするお考えをお聴きすることもあります。
そんな時には、「ぜひうちのお寺で。」ではなく、「まずはご家庭やご親戚の間でご相談を。」と申し上げております。これまでの先人の想いがあるのですから、簡単に変えていいものではないと考えております。
学生の頃、鎌倉の円覚寺へ行き、足立大進老師の法話をお聴きしたことがあります。『「ぜひうちのお寺に」という和尚さんのお寺ではなく、「よくよく考えておいでください。」という和尚さんのお寺に向かうべきです。』とおっしゃったことが、20年以上経って思い出したところです。

長野県松本市にある、神宮寺のご住職の高橋卓志和尚さまが、お寺の寺報「未来への遊行帳」を送ってくださいました。
50ページほどの冊子を、スムーズに読むことができました。
42年に渡る僧侶人生をまとめて、後世へ語りついでいこうという使命を感じておりました。
高みにいて儀礼をこなすばかりなく、野に出て手を差し伸べていくことが、どれほどありがたいことかを感じさせていただきました。
大源寺だよりも、これほどに進化するのは何年かかることかと思いつつ、読み進めておりました。

「こんな暑さは、90年近く生きてきたうちでもなかった。」とはご近所のおばあさんのお言葉です。
大源寺だより第6号を、ご近所に配布しておりました。皆さまがご在宅で、手渡しすることができました。そんな折のやりとりでした。
お隣のおばあさんは信心が篤く、私が生まれる前からお寺を気にかけてくださっていました。大源寺だよりをお渡しすると、「ようここまで続けなさるね。頑張ってちょうだいね。」とお褒めと激励のお言葉をいただきました。
「お寺から新聞が届くとは、これまでなかった。」と噂されているかもしれません。

煮えるような暑さです。熱中症にはお気をつけください。
暑い中でも元気なのは子どもたちです。近所の子どもたちが道すがら、「このお寺は大源寺と言ってね。朝と夕方の6時に5回ずつ鐘が鳴るんだよ。」と語っていました。
子どもたちにも、お寺への認知度が高まったのでしょうか。ありがたいことです。

町内会のご家庭にお配りするための施餓鬼会の案内状を印刷しております。
印刷の途中にプリンターの黒インクが切れて、補充しておりました。
「あわてない あわてない 。」と心の中で念じておりました。

大源寺だより第6号が完成したことを、まず祖母に報告しております。
「あんたは本当に手がかかった。」という声が聞こえてくるようです。
