自由

名古屋市中区にある大須観音と呼ばれる宝生院真福寺にお参りさせていただきました。
本堂の内陣の手前に、ご詠歌の一節があるのを見つけました。「百の数 拝み巡りて 罪深き 我が身もやがて 仏なりけり。」と、漢字のほうが伝わってくるようです。
「観音さまにひたすらお願いしていれば、どれほど世間の皆さまに迷惑をかけてきた私自身も、仏さまと同じようになることができる。」と読み解いておりました。

その後ろで、大学生と思われる若者たちが、手を叩いてお辞儀をして、「単位が取れますように。」とお願いしている姿を見て微笑ましく思いました。
「自由でいいな。 」と思いますが、彼らには深刻なことなのでしょう。仏教にある自由の本来の意味は、freedomというよりはself controlであり、「自らの意志で行動して、責任を取る。」ことにあるのです。
彼らが自らをコントロールして、観音さまのご利益が訪れることを願っておりました。

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梅雨の訪れ

昨日一昨日とシルバー人材センターのスタッフにお越しいただき、庭木の剪定作業をお願いしました。
古希を過ぎてもお元気で、広い境内をくまなく作業してくださいました。

鐘楼の前の梅の木には、鳩の巣があるようです。決して寝た子を起こすようなことはせずに、剪定してくださいました。

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梅の木の下には、百合の花がひっそりと咲いていました。
梅雨の訪れのお知らせのようです。

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布施のないお経

確か奈良の薬師寺の管主を勤められた高田好胤和上がおっしゃったお言葉と思いますが、「布施のないお経を読めたら一人前。」とお弟子さんに指導されました。
喜捨のお気持ちをお持ちいただくために、お参り先でお出しいただくことが「お布施」の本来の意味ですから、お経を読む僧侶の側も「喜捨」の気持ちが具わっているのがあるべき姿との教えなのでしょう。

先日、縁あって路上生活をされるの方のお弔いをしました。ひっそりとお弔いをするのかと思っていたら、大勢のお仲間が会場に集まっておられました。
「皆さまにお集まりくださったことは、故人のお人柄でしょう。」とお話ししてお経を始めました。

お寺を運営するからには、お布施を対価と考えることは止むを得ないことです。しかし、ただひたすらに故人の最期のお見送りをされるお仲間の姿に心を打たれ、喜捨の心を教わったようでした。

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肉食妻帯

「お坊さんはお肉を食べて、結婚してもいいのですか。」という質問はよくあります。
「元々は禁じられてきましたが、明治時代から解禁されたようです。」とお答えしておりました。

某週刊誌の記事に、明治政府によって解禁された経緯が書かれていました。明治時代以前も、結婚していたり、肉食をしていたお坊さんはおられました。
無理に肉食妻帯を禁じるよりは、政府としては「ご自由に。」という立場を取ったようです。

戒律を守り切ることは難しい。しかし何でもやっていいわけではないのです。懺悔(さんげ)をして振り返ることで求められる時代になってきたようです。

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賓主互換(ひんじゅごかん)

臨済宗妙心寺派には、花園会という住職と檀信徒の組織があります。地元の教区の花園会長を勤められた方がお亡くなりになり、お葬式にお参りさせていただきました。
大源寺だよりを創刊したときに、真っ先にお便りをくださったことを思い出しました。

一般参列者の後ろのほうの席で、お参りしておりました。最前列でお経をあげる4人の和尚さんは、皆さんご近所の方でした。
私が導師になってお経をあげるのではなく、一般参列者の席に入れ替わって「賓主互換」という臨済録の言葉を思い出しました。
賓とはお客さんで、主とは主人公という意味です。「賓と主は歴然と分かれているが、入れ替わることで、お客も主も一体と感じることができる」という解釈をしております。

日頃は、喝と引導を渡している自分を垣間見て、お坊さんに求められるものは何かと考えておりました。

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快晴の空の下、サツキツツジが映えております。

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手香炉

先日、仏壇の閉眼法要を依頼されて、お位牌などの仏具のほかに手香炉(てごうろ)の持ち帰りを依頼されました。
使用してまだ時も経っていないようです。

そんな折に、知人から「香炉はないか。」と尋ねられました。福祉の仕事をされる方で、「供養されることのない故人に向けて、お線香をあげたい。」という殊勝なお気持ちがあるようです。
「どうぞお使いください。」とお渡ししたところです。

お盆が近づいてきます。これまでにご縁のあった故人ばかりでなく、あまりご縁のなかった諸霊に向けてご供養のお手伝いができれば幸いです。

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臨済録

一昨日、名古屋の栄にある政秀寺で、木村太邦老師の「臨済録」の講話をお聴きしてきました。

臨済録とは、臨済禅師とお弟子さんとのやり取りを記録したものです。臨済宗の修行を経て、仏教やお寺の世界の全体像を俯瞰してからのほうが、読み解きやすくなるようです。

麻谷(まよく)という先輩僧が、臨済禅師に問答をしかけます。「多くの眼や手がある千手千眼観音さまの眼はどこが正面か。」と尋ねます。臨済禅師は、麻谷を壇上に引っ張り出して自分は聴衆席に座って「ごきげんよう。」と答える場面です。

「それで何を言いたいのか。」という質問が飛ぶことでしょう。「観音さまのお姿は、正面も背面もない。そして質問するあなたも私も一体のものなのだ。あなたもおわかりでしょう。」ということを、ご自分の行動で示されたようです。

以前、昼間からお酒を飲んで、役所窓口で毎日のように苦情を言う人がいました。偶然に出くわして、私が僧侶であることがわかったようです。
「おい坊主、一休さんは本当に橋の真ん中を渡ったのか。」と尋ねてきました。私は、「一休さんは型にとらわれず、お酒も異性も好きだったんだ。それはおじさんも私も同じことでしょう。」と返したものです。おじさんは笑っておられました。

言葉に表すことが難しく乱暴な表現もあるのですが、臨済禅師の教えは、「あなたと私は一体のものである。」という優しいものなのです。

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アジサイ

梅雨が近づいていることを告げるように、アジサイが咲き始めました。
裏の枯池の淵のサツキツツジが、何年かぶりに開花しております。

雨の中、季節の移り変わりを感じております。

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