お寺へ帰り、観音さまの掛け軸に手を合わせて「延命十句観音経」をお唱えしました。
強くない心身をお導きくださる御心に感謝しております。
お寺へ帰り、観音さまの掛け軸に手を合わせて「延命十句観音経」をお唱えしました。
強くない心身をお導きくださる御心に感謝しております。
「ホームページは目標共有化である。」と中日新聞の記事にありました。
愛知県一宮市の小中学校の校長を勤められた著者が、保護者との間に学校運営に関してギャップがあることを知り、ホームページを更新して学校の毎日や教育観を発信されたようです。
そうするうちに、学校を応援支援する動きが高まってきたようです。
私のブログの毎日更新と共通するところがあります。お寺社会でも、僧侶と社会とのギャップが広がってきました。お寺の毎日や私の考えを発信しているうちに、支援が広がってきました。
この新聞記事を母に見せると、母の現役教師のとき、教頭をされていたようです。今になってこうしてつながるとは不思議なことです。
掲示板のポスターを貼り替えました。
「人間の心にある美しい花」とは仏さまのような心のことです。
雨にも風にも夏の暑さにも負けず、白いサルスベリが咲いています。
過ぎゆく夏を惜しむように、セミが鳴いています。
客間の鴨居にずっと掛かっていた額縁ですが、汚れが気になるようになり表装をし直しました。
装いを新たに、客間を見下ろすように掛けたところです。
額の裏側には、昭和18年に京都の檀家さんから奉納されたという記載があります。「終生報恩」と書かれた思いを受け継いでいく使命感が湧き起こってきます。
雨の中、草取りをしています。
いつお参りいただいてもいいように、整えています。
雨が降り止まず、雨漏れがないかを点検しています。
仏さまが見守ってくださると、安心します。
他力本願やら自力本願という言葉を、歴史の教科書で学びました。臨済宗は他力本願を否定するかといえば違います。
日頃の生活の中で、「弱い自分も生かされている。」と仏さまの恵みを感じ取るのが教えなのです。
高校時代の恩師に寺報をお送りしたところ、ご丁寧にお返事をいただきました。
いつまでも気にかけてくださる御心に感謝しております。
どこかすっきりしない朝空です。気温が下がったのはいいのですが、雨が続くとマイナス思考になってしまいます。自分は弱い人間であるのかと思います。
先日の円覚寺の日曜説教を動画にて聴聞していました。横田南嶺老師は、坂村真民先生の詩を用いて、「信仰によって強くなるのはではない。弱いままに生かされている喜びのなかに生きるのだ。」ということを説かれました。
弱い自分が生かされる喜びを感じるように、念じております。
雨が上がって青い空に包まれています。
「松老い雲しずかにして、曠然として自適す。」という臨済録の一文が頭に浮かんできます。