神戸町の中心部にある日吉神社にお参りに行ってきました。

今年は創建1200年に当たり、本殿がきれいに修復されていました。神社の中に三重の塔があり、十一面観音さまがおまつりされるという「神仏習合」の名残りがありました。


神戸町の中心部にある日吉神社にお参りに行ってきました。

今年は創建1200年に当たり、本殿がきれいに修復されていました。神社の中に三重の塔があり、十一面観音さまがおまつりされるという「神仏習合」の名残りがありました。


中村 建岳和尚さまの結婚披露宴に参加させていただきました。

臨済宗妙心寺派の僧侶で、修行したのは犬山市の瑞泉寺で、住職塾で学んだという共通のレールがあります。お師僧さまは、亡き祖父が教員をしていたときの生徒という深い縁で繋がっております。
多くの出席者とスタッフに恵まれて大盛会でした。
写真にあるのは、本堂のスクリーンで新郎新婦の生い立ちが映し出されているシーンです。歌唱やピアノ演奏があり、長年積み重ねたものが編み出されていました。
時代の先を行く姿に共鳴しておりました。末永くお幸せであることでしょう。

「わたし失敗しませんから。」という決めゼリフのドラマが始まりました。群れることなく自分の信念を貫く姿に共鳴しますが、失敗を繰り返して向上して行く人が大半でしょう。
先日の円覚寺の日曜説教で横田南嶺老師は、人間が人間として生きて行く道としてマインドフルネスを挙げられました。自分の内面を見つめる実践方法のことです。
「人間としての弱さを自覚する。本当の自分とは何かを見つめる。絆を見つめる。傾聴。受容。感謝。自分が何を為すべきかの責任を感じ取る。」というこの世に生きる人間としての役割を果たして行くことへの道を説かれていました。
「これでいいのか。」と不安になることが多くありますが、どう世のため他人のためにお役に立つことができるのか思案の積み重ねが「失敗しませんから。」の自信に行き着くのかもしれません。

書道のお稽古へ行きました。隣の席の方は「風は商気を吹く」と書いておられます。「風が吹けば〇〇」という意味かと思ったのですが、商気とは秋の気配という意味であるようです。
30度を超える一日でしたが、夜になれば風が吹いてきました。風が念を押すかのように秋を知らせてくれます。

祖母の祥月命日ということで、お墓の前までお参りに行ってきました。
墓前に行くまでは、お小言を言われそうな気がして足取りが重くなります。お墓の前に立つと、ただ静かな空気の中にいるようでした。「もうあんたに任せたよ。」というメッセージが伝わってくるようでした。
5年前の祖母が危篤のとき、お寺へ戻る途中の田んぼの稲穂が元気なくたたずむように見えました。今日は、生き生きと瑞穂がそびえているように見えたのは不思議なものです。

八百津町からの帰り、川辺町を通りました。住職塾でご一緒した所さんのお寺にお参りさせていただきました。
初めて伺うところは、本堂に上がることはためらいます。「どなたさまもご自由にお参りください。」という掲示があり、安心してお参りすることができました。

庫裡のほうへご挨拶に行きました。坊守さん(奥さん)が気さくに話してくださいました。
お寺の新聞を交換させていただきました。
実は住職塾に受講する前から、こちらのお寺とは縁深いのです。うちのお寺の近くの浄土真宗のお寺の坊守さんは、こちらのお寺のお生まれなのです。
身近なところにあるご縁を深めて、仏縁を広げていきたいところです。

今月末に遠忌でお伺いする、八百津町の大仙寺までお参りしてきました。
山の中の大きなお寺でした。「ゆっくりゆっくり」という掲示板に諭されております。

お寺のすぐ近所のお宅の年忌法要に行ってきました。
創建当初からの檀家さんであり、曾祖父の実家でもあります。
ご親戚の中の最高齢の方とお話ししておりました。昭和15年に今の本堂が新築されたときに立ち会われたようです。
一方で平成生まれのヤング世代に囲まれて、スマホを駆使する若いエネルギーを感じておりました。
二十三回忌は、故人を偲び今を生きる我々がどう生きるのかを問うことが大切であるとお話ししました。時の流れをひしひし感じております。

枯池を埋め立てて、平らにしたところです。
思いのほか広くて快適な空間になりました。
枯池なり敷居があると、狭く感じるものです。まるで錯覚していたかのようです。

庭の枯池を埋める工事をしております。永代供養墓を建てるために始めました。
幼い頃は、隠れんぼをしていました。こうして模様替えをすることに、寂しい気もあります。
