お盆のお参りからお寺に戻ると、鐘楼の前にバラの花が咲いていました。
4か月ほど工事のため、足場に隠れていて、今日になって気がつきました。
「バラの木にバラの花咲く。何ごとの不思議なけれど。」という北原白秋の歌を思い出しました。バラの花が咲いているのは、不思議なことではありませんが、これまで気づかなかったものに、ハッと気づいた不思議を詠んだのかもしれません。
足場が外される時期に、バラの花が咲いていたことの偶然の不思議に感謝をしております。

お盆のお参りからお寺に戻ると、鐘楼の前にバラの花が咲いていました。
4か月ほど工事のため、足場に隠れていて、今日になって気がつきました。
「バラの木にバラの花咲く。何ごとの不思議なけれど。」という北原白秋の歌を思い出しました。バラの花が咲いているのは、不思議なことではありませんが、これまで気づかなかったものに、ハッと気づいた不思議を詠んだのかもしれません。
足場が外される時期に、バラの花が咲いていたことの偶然の不思議に感謝をしております。


4カ月ほど鐘楼を囲っていた足場が外されました。
装いを新たにして心も新たに、鐘の音と仏法をお伝えして行きたいと考えております。

ご近所の寺の施餓鬼会にお参りさせていただきました。
和尚さんの控室に、「白雲自ずから去来す。」という禅語の墨蹟が掛けられていました。「青山元より動かず。」という詩の対句になっているものです。
「青々とした山はどっしりと構えている。周囲にある雲が山に近づいてきて、風景を自ずと作り上げる。人の心も同じように、真理というものが一つなのに、ふわふわと動き回る。」という解釈でしょうか。
どなたが書かれたのかと調べておりました。私の大学の大先輩にあたる大森曹玄老師が書かれたもので恐縮するばかりです。
「ふわふわしていないで、どっしりとした心でいなさい。」と時を隔てて教えてくださるようです。

終戦の日が近づいてきました。
地元の小学校の校区の遺族会の、戦争でお亡くなりになった故人の追善法要を勤めさせていただきました。
戦後71年が経ちますが、ご遺族の弔いの心は変わらないようです。
石碑には、「崇徳碑」と書かれていました。「そうとくひ」ではなく「すとくひ」とお読みするようです。
保元の乱で配流された崇徳天皇のことを思い出し、「崇徳とは、徳を讃えることばかりでなく、異郷で戦死した故人をなだめることではないかと思います。」とお経の後にお話しさせていただきました。
故人の戦死を弔い、いま生きる我々の道標にしていければと思います。


暦の上では立秋を過ぎて、「残暑きびしい。」と言いますが、気温が40度近くまで上がり、灼熱とはこのことかと思います。
皆さま、熱中症にはご注意ください。
お盆のお参りでお経を読んでいると、防災無線で「熱中症にご注意ください。乾燥しておりますから、火の取り扱いにご注意ください。」というアナウンスが流れてきました。ローソクや線香から、大惨事につながることもありますから、注意しております。
「無事これ貴人」という禅語があります。「混じり気のない透き通る心こそが、何よりすばらしい。」と解釈しております。暑いとイライラして、思わぬ方向へと向かうことがありますが、無事でありたいものです。

鐘楼工事も、残すところあと一週間で終幕に近づいております。
最後の仕上げに、左官屋さんがお見えになっていました。
この方は、岐阜市の住職の修行同期の和尚さんが住職を勤めるお寺の、すぐ近所からお見えになっていました。
どこかで繋がっているのかわからない縁に、 支えられております。


暦の上では立秋で、暑さのことを残暑というのですが、猛暑は続きます。
そんななか、うちのお寺の施餓鬼会を勤めさせていただきました。
皆様が足をお運びくださり、盛況のなか法要が進みました。
法要のあとの、お斎(おとき 昼食)は、朝早くから檀家さんとご近所の奥様がお手伝いくださり、大源寺オリジナルのものができあがりました。
多くの皆様のご尽力のもと、進めることができました。心より感謝申し上げます。

明日の施餓鬼会の支度準備をしております。
支度の間、ご近所の皆様が、明日のお斎(昼食) の具材にと、キュウリやナスをお持ちくださり、ありがたいことです。餓鬼に施すことの恩徳を自分に巡らすことが施餓鬼の行事のいわれです。
早くも、皆様から施しをいただいているようで、本当にありがたいことです。

明後日の施餓鬼会でお出しするお斎(おとき 昼食)の食材の調達に、業務用スーパーまで買い出しにきました。
近くの大手スーパーに比べて、お買い得です。
住職になった頃は、このようなことは、母に任せておりました。
道元禅師が、中国に渡られたとき、お寺の典座(てんぞ 調理を担当する僧侶)を勤める壮年の和尚が、市場に買い出しに来られるところに遭遇しました。道元禅師は、「あなたのような古参の和尚がなさらずに、若い和尚に任せてはどうですか。」と問うと、「そのような考えは間違っている。どれだけ年を重ねても自分の責任でやりきるのが修行だよ。」と諭されました。
このような逸話をお聴きして、今さらながら、他人に任せきるのではなく自分の手を動かして、事を進めております。

大源寺には、戒名軸と呼ばれる掛け軸があります。
お亡くなりになった故人の戒名が、江戸時代の頃から書かれています。
「台徳院殿」や「大猷院殿」という戒名があります。徳川二代将軍の秀忠、三代将軍の家光のものです。
どこかの名家が保有されていた戒名軸を、大源寺が譲り受けて戒名を書き足していったものだと推測されます。
これまでお寺に縁のあった皆様ばかりでなく、連なる多くの諸霊に向けて施餓鬼法要をしてまいります。
