伝道掲示板のポスターを貼り変えたところです。難しい言葉を使う傾向があるのですが、以前に総代を勤めてくださった70代の男性が、「オッさん。これは難しいぞ。」とご指摘をくださいます。
受け手の目線でお伝えするのは、簡単なようで難しいものです。モデル読者を設定して、その方がうなずくように想定して、「大源寺だより」やブログの発信をしております。
継続することで、受け手とのキャッチボールをしていくことができるのです。

伝道掲示板のポスターを貼り変えたところです。難しい言葉を使う傾向があるのですが、以前に総代を勤めてくださった70代の男性が、「オッさん。これは難しいぞ。」とご指摘をくださいます。
受け手の目線でお伝えするのは、簡単なようで難しいものです。モデル読者を設定して、その方がうなずくように想定して、「大源寺だより」やブログの発信をしております。
継続することで、受け手とのキャッチボールをしていくことができるのです。

街を歩いていると、「桑海さん」と呼び止められます。親しくしている真宗高田派の説教師さんでした。一昔前では、街角でお声をかけていただくことはありませんでした。
臨済宗妙心寺派の伝道月刊誌に、うちのお寺の新聞「大源寺だより」を創刊するにあたりお世話になった杉本恭子先生のエッセイがありました。
「お坊さんになってよかったこと。」という問いがありました。よかったと言えば、「多くの皆さまとのご縁をもとに、自分の信念というものを磨いていくことができること。」という回答を思い浮かべました。
毎日の出会いの刺激があるから、「日日これ好日」と楽しむことができると感じております。

近所のお寺の施餓鬼会にお参りさせていただきました。
控室の床の間に掛けられていた墨蹟は、臨済宗南禅寺派の管長の中村文峰老師が書かれたものと思います。
「祥雲 寿山を繞く(しまく)」とお読みするのでしょうか。晴れの空で、白い雲が山を包み込むという解釈かなと思います。
隣に座る和尚さんと、繞はどう読むのかと話しておりました。周りを堤で囲む低地を囲繞地ということから「囲む。」ということではとの結論になりました。
住職の修行道場の先輩の和尚さんが住職をされるお寺に、祥雲寺というお寺があります。もう一人の先輩のお寺が曹源寺と言います。曹源とは湧き出る水の源のことを言います。祥雲や曹源というお寺の由来が禅語にあることを、今になって気づいております。

お布施の金額を定額化するなど、賛否両論のお寺の取り組みをされる、埼玉県のお寺のご住職の著書を読んでおりました。長い僧侶人生に基づく検証には共感するところが多いものです。
3年ほど前から、宗派を超えたお坊さんの集まりに参加して、お寺のあり方を模索しておりました。一概にお寺は住職と檀家さんによって構成されますが、その背景図は全国各所で多種多様です。
うちのお寺の地方では、農地解放によって、お寺の経済基盤が弱体化して、住職が教員や公務員を勤めることが当然のことのようでした。「オレは修行に行きたかったけど、お寺を守るために教員に就職した。」と懐古される和尚さんもおられます。
檀家さんのほうでは、戦前は大地主でお寺に多大な寄進をされたお宅でも、いまは年金収入でつないでいる世帯が多いのです。
住職の収入も檀家さんの家計も低下するのですから、これまでの背景図では到底お寺を維持できません。
お寺を維持するにあたって、多種多様の意見があります。古来から綿々と受け継がれてきた教えを、継承していくための配管が詰まっているような状態と捉えております。緻密な検証といろんな工法があることを知り、どの手段で大手術をするのか考える時であると考えております。


本堂前の芝生が伸びてきたので、夕暮れ時から芝刈りをしておりました。
ご近所迷惑にならないうちに終わろうとしたところで、一隅を照らすように外灯が点きました。
手間のかかる無駄骨とも思えることの繰り返しから、新たな光明が見えることもあるのです。

鐘楼修復工事を終えて、建築業者の方との記念撮影です。
1年半前に見積もりをお願いして、4カ月前に工事を開始してきれいに仕上げていただき、一連の流れが終幕となり、肩の荷がおりたようです。
落慶法要は行ないません。建物を補修しただけで満足していては、達磨さんがおっしゃったように「無功徳(功徳などない。)」のです。皆さまに仏法をお伝えしていくことを忘れてはいけないのです。

天候の乱れがおさまりましたが、残暑が戻るという何とも過ごしにくい気候です。
伝道掲示板のポスターを貼り替えました。
気圧の変化に負けず、花のように精一杯に過ごしていきたいものです。

台風の被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。
岐阜県は台風の暴風域に入らないですが、予定より早くお寺へ戻り雨戸を全部閉めました。それほど心配症なのです。
禅語に「非風非幡(ひふうひばん)」という禅語があります。
中国の唐の時代、二人の僧が口論をしています。「風が動くのだ。」「いや幡が動くのだ。」と言い争っていました。
その光景を見た六祖慧能禅師は、「風が動くのでもなく幡が動くのでもなく、あなたがたの心が動いているのだよ。」と喝破します。
風が吹いているのではなく、心配性という心だけが動いております。

本棚を整理しております。いらないものは、ブックオフへ持って行きますが、仏教書は捨てることができません。
10年前に、妙心寺での高等布教講習会へ行く前に買い漁ってお読みした、故松原哲明師の本です。
法話で何を話していいのかわからず、参考書として松原師のたくさん持って行きました。
オロオロしながら、学びが多かったことを思い出します。


大源寺の紋は、九曜紋です。
江戸時代の創建時にお世話になった、大垣藩の戸田家の家紋からいただいたものです。
水戸黄門が諸国を漫遊したという痛快なお話しがあります。漫遊記などは作り話ですが、葵の御紋はそれほど威厳あるものだったのでしょう。
お付きの助さんのモデルとなった佐々木助三郎こと佐々宗醇(さっさ むねあつ)は、もとは京都の妙心寺で修行していたお坊さんだったようです。ご老公こと徳川光圀に見出されて、お坊さんをやめて水戸藩にお勤めしていたようです。
檀家さんのお宅にある集合写真は昭和初期の頃のものですが、確かに九曜紋の幕が使用されています。
古くからの歴史を継承する九曜紋です。
